「それは見せるためではなく、私の心を納得させるために描いたのだから…」奄美大島の日本画家・田中一村
田中一村記念美術館 幼少期から絵描きとしての才能を示し東京美術学校に入学したものの2か月で中退、 その後いろいろとありながら、最終的には奄美大島を終の棲家として選び、 染色の熟練工として勤務、稼いだお金で日本画を描き続けた画家 田中一村が、人生を振り返ったときに考えて文字にした言葉に強く共感します。 生活のために、したいことよりもお金を得るため心に嘘をついて仕事をすることは 我々もよく経験することでしょう。 しかし、人生のまとめに入ったとき、人生を振り返ったとき それがいかに心を疲労させるか、ときにはむしばむことか、 ようやく真の自由を手に入れる方法がわかった一村は、こうつぶやくのです。 「その時折角心に芽生えた真実の絵の芽を涙をのんで自らふみにじりました。 その後真実の芽はついに出ず、それがやっと 最近六か月の苦闘によってふたたび芽吹き昨年の秋頃から 私の軌道もはっきりしてきました・・・・・・・・・ っこの軌道を進むことは絶対に素人の趣味なんかに妥協せず 自分の良心が満足するまで練りぬくことです」 「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、 絵の正道であるとも邪道であるともなんと批評されても 私は満足なのです。 それは見せるために描いたのではなく 私の良心を納得させるためにやったのですから・・・・・」 (昭和43年 知人への手紙より) 一村は、ようやく雨の入らない家に引っ越しができ、 これで絵が思う存分描けると喜んだのもつかの間、数か月後に病気で天に召されます。 しかし、人生の真実をつかんだ彼は、ある面満足だったのではないかと思います。 お金のため、人の評価のため、その目標や期待を満たすことが自己の幸せだと、 若い時分は考えるのですが 実際にそれらを達成した後も心の違和感がなくならない、満足しない 振り返ってみると、本当にしたかった事をしたときの満足感と それを踏みにじってしまった後の麻痺している感覚がようやく認識でき いったん踏みにじって枯れてしまった心の芽はそう簡単によみがえらせることはできないことも経験し、 もう一度、水をやり、陽の光に当て、栄養分を与え、手をかけてゆっくりゆっくり待って ようやく、真実の芽が動く気配を見せたときの喜び! この目に見えないエネルギーの源は、経験した方も多いのではないでしょうか。 ひとりの真実を追い求