癒しを外に求めるのではなく、自分自身が「癒し」になる
「癒しを外に求めるのではなく、自分自身が癒しになる」ウェイン・ダイアーの言葉だ。
ちょっコロンブスの卵的な発見
自分になれるだけの能力があるかとの疑問
いかに自分が不平を言いながら探し回っているかの自覚
ときどきビジネスで成功している人が言っているのを聞く「周りになかったので、自分で作ってしまいました」。発想的にはこんな感じでいいのかな。
毎朝、散歩の途中で教会の中庭にある聖フランシス像を見てから川に向かう。聖フランシスは、『私を平和の道具としてください』と謙虚に神さまに祈った聖人。それを思い出すたびに、自分はぜんぜんいけてないな~と思うのだが。
確かに癒しをいつも求めている感じはある。それが自分自身だとは思ったことはないかもしれない。しかし、もし自身が癒しになれば、自分はもとより、他の人への癒しになりとてもよいことではないか。
損した気分になる?それが人生を幸せに生きるか不幸を味わいながら歩くかの違いなのかもしれない。
たいした人ではないならそれなりの「癒し」になれればよいではないか。
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"BE the cure. Don't look outside yourself for it." by Dr. Wayne W. Dyer
I remember St. Francis saying "Let me a tool of peace" when finding the line above. It says the similar meaning.
When you seek the cure, you might not find the one around you. Then, you might speak ill of others, "Nobody can heal me!" or "Nothing can make me fun!!!"...Perhaps, you won't find it forever.
What being the cure is not easy for you. You can depend on it if you can find it. Which one do you use your energy? Complaining is much easier than solving it on your own.
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