心のエネルギーは有限・・・変えられることに使おう
決して誰も変えられないもの・・・それは、過去と他人
今の自分を他人と比べて、ああ、これがない、あの人のように、これもない・・・とがっかりするのは人の常
あのときああすればよかった、あんなことをしなければよかった、家族がこうしてくれれば今は変わっていたかもしれない、こんな私に生まれるのではなく、あんな人のように生まれればよかった・・・
自分の過去を振り返り、なぞり、非難しがっかりし、否定し続け、もんもんとする
それで過去が変わるでしょうか?
変わらない、変えられない。だって、すでに起こったことだから
絶対変えられないものに、そんなに心のエネルギーと時間を費やして、何が手に入るのでしょう?
心のエネルギーも時間も有限。使えばなくなる。お金と同じ。お金を払っても何も手に入れられないものを買いますか?
それとも、お金を払って何か手に入れますか?
自分の意思と行動で変えられることに、心のエネルギーを費やした方がいいよね。
今、いろいろと見える自分から見れば、過去に行った失敗は未熟に見える。だけど、当時の自分は精いっぱいだったし、一生懸命どうにかしようとしていたはず。
そんな頑張りを認めてあげて、受け入れてあげてもいいのでは。
心のエネルギーは有限だから、重要なこと-今から変わる可能性のあることに使って、もっと気持ちよい日々を送れるようにしたいなと思うのです。
コメント
“過去は変えられません。しかし過去に対する考えは変えられる”
“事実は変えられなくても、自分の対応は変えられる”
昨年仕事で履きこなしていた靴と同じものを購入した時に、自転車に乗って車と接触し事故に遭い、無残にも購入したばかりの靴に穴が開いてしまった。
あれから約1年。先日靴を買いに行った時のこと。
靴売り場で、以前から履いていた靴があり、履きやすさには実績があり気に入っていたが、どうしても事故のことを思い出し、また同じ靴を履いたら事故に遭うのではないかと気持ちが頭をかすめた。この靴はやっぱり無理だな~と。
いろいろな靴を試してみたが、これがいいかなと思えるものがなく、またその靴の前に戻っていた。何度悩んでも手にすることができず、ちょうどその時店員の方が、熱心にこの靴の良さのアピールをしてきた。自分も実感しているだけに、それでも買えない気持ち(事故にあったこと)を店員の方に話したら、その方や身内の方にも事故に遭ったことがあり、物が破損したことを、自分の身代わりになって助けてくれたと話され、靴が身代わりになり守ってくれたんですよと意見をいただいた。その時物事の捉え方に、そういう考えもあるんだ!と胸に響いた。
もしCBTなどを学んでいなかったら、店員の方の意見に、靴を販売したいだけなのではという嫌悪感を抱いたかもしれない。今でも車のそばを自転車で通る不安感や手首の痛みは解消されていないので、そんな風に受け止められない!と思ったかもしれない。
それでも迷っていたら、そばにいた主人が悩んでいるんだったら色違いの靴を買ってみたら?と背中を押してくれて、最終的に自分の責任で色違いのこの靴を気持ちよく購入することができた。
毎日、物事に向き合い、自分で何かを考え何かを感じ、そして自分で何かを選択している連続なんだな~とこの1年「こころのメンテ講座」に参加し、体感できるようになったのが成果かもしれない。これからも気持ちのよい日々が送れるような考え方を心がけていきたいと思っています。
コメントをありがとうございました。好きな靴に嫌な思い出が同時についてしまい、自己の中でかなり葛藤があったと思いますが、店員さんと夫君の言葉を受けれて購入したことは、今後Akikoさんの問題対処方法のひとつになるのではと思います。ひとつひとつ考えることは一見面倒くさいことのように見えますが、出口に向かって考えることは実際は楽しいことなのだと思います。
『人生、こんなに来ちゃったけど、変化していく自分が居て嬉しい』と言う言葉、まさに私も実感していることなので引用してしました! 趣味は「変化していく自分を見ること」かもしれません。興味深いですね:)