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子どもの頃美味しいと思ったものーフルーツサンド、サヴァラン、ウイスキーボンボン等を思い出し :)

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子どもの頃に「おいしいな~」と思って好きだった(そしてあまり食べられなかった)ものを意識して思い出そうとしている今日このごろ 子どものころは、お金もないし、どこに行けば買えるのか知らないし、また「出会える日」を無意識に夢に見ているしかなかった。そして、ときどき、「偶然」家にあるのを知って、淡々と味わって食べていた気がする。 フルーツサンドはともかく、サヴァランやウイスキーボンボンは公に「好き」と言ってはいけない気がしていた。なぜだろう?お酒が入っているから? 今だに鮮明に覚えているが、恐らく小学校1年生か2年生のとき、初めてウイスキーボンボンを食べたときの感触…「なんておいしいんだろう」とまじまじとその瓶型のチョコレートを眺めながら食べた。 サヴァランはもう少し食べた頻度が高かったような気がする。「なんておいしいんだろう」と静かに感動していた自分がいた。 他の好きなもの、ほしいものは「買って買って~~~」とだだをこねた記憶もあるが、なぜかサヴァランやウイスキーボンボン、そしてフルーツサンドも、ねだった記憶がない。 そんなに真剣な愛だったのだろうか? 今年は区切りの歳でもあるし、昔我慢(?)していた大好物を自分のために買ってあげようか…などと考えたりしている。今は買うお金も自分で持っているし、買う場所にも調べてひとりで行ける。昔の、人生まだ6,7年しか生きていなかったときとはわけが違うのだ。 ちょっと不思議なのは、そんなにしみじみ美味しいと思ったものを今までなぜ忘れていたのだろうということ。 フルーツサンドはときどき食べている。サヴァランも、老舗の喫茶店に行きあればときどき食べる。でも、ウイスキーボンボンのことは、すっかり忘れていた。 可哀想じゃないか、Sちゃん。 まあ、でも明日地球が滅びるなら、最後の晩餐は生ガキ、生うに、美味しい地酒、と思っているので、昔とは好みが変わっただけじゃない? そんなつっこみを自身でしながらウェブを検索、なるほど…。子どもの頃に食べたウイスキーの形をしたボンボンは、今はマイナーなデザインなのね。 学会での発表が終わり、たわいもない空想に浸る私でありました。

うつ病のためのメタ認知トレーニング(D-MCT)を通して

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2015年から私のスーパーバイザーと、ドイツからのプログラム・D-MCTを一緒に訳して、リワーク参加者に提供してきたが、ようやく一連の作業がひと段落つきそうだ。 7月末にある日本うつ病学会で日本語版出版の発表するために、ポスターを製作中。背景にはキーワード「人工衛星から眺める」写真を使う予定(上の写真はISS:インターナショナルスペース・ステーションの無料写真素材)。 製作しながら、人工衛星から眺めるように自分のことを見るんですよね…と自己に言い聞かせるように話してくれたメンバーさんたちの顔が浮かぶ。 病気療養が長引く人たちも多くいらしたが、それぞれ皆一所懸命。もがくときもあり、落ち込むときもあり、そして良くなっていく過程もあり…。 そんなとき、D-MCTのセッションに参加して最初の人工衛星の絵のアニメ画が毎回繰り返し出てきて「自分の考えを人工衛星から見るように、客観的に見て下さい」と聞かされるわけだが、それを手掛かりにして、自己の考え方を遠くから見ようと態度を変えようと努力される方も多い。 上のISSの写真をどう配置しようか、加工しようかと汗をかきながら、感想を言ってくれたメンバーさんたちの顔を思い出していた。 良くなって卒業した方、まだ療養中の方とそれぞれだが、彼らが真摯に感想を言ってくれた顔を思い出しながら、そんな思い出を持てる私は幸せだなぁと本当に思う。 セラピストという職業になって、人間の面白さを感じることができるようになったと思う。 それは、ひとりひとりのメンバーさんが私に教えてくれたものだ。状態の悪いときもある、あまり係り合いにならないことも多くある。だが、こちらに気持ちを分けてくれるときも沢山ある。回復してきて、うつ症状が消滅してくると「こんなに素敵な人だったんだ」と驚くこともある。 そうやって生物としての生命力、活動力が素晴らしいし、興味深い。人間ってすごいと思う。 人間は生ものだから、いいときも悪いときもある。 そんなことを言葉では言っていたが、実感できるのはリワークやデイケアで出会ったメンバーさんたちと触れ合ったからだ。 今の仕事で、もしD-MCTが提供できるなら、まったく設定が違ってしまうだろう。以前のように思う存分提供できる時間的余裕はないかもしれない。 それならば自分でそんな機